猫のえろげにっき

気に入った作品の感想や考察を自由気ままに語っていきます

【考察】星空のメモリア-Wish upon a shooting star- 夢√・メア√

皆様、初めまして。白猫ユウと申します。

今回は最近流行っている?エロゲの感想・考察ブログを自分も始めてみよう!ということで本記事を書くことと相成りました。

その記念すべき第一作はズバリ、FAVORITEさんの

 

星空のメモリア-Wish upon a shooting star-」

 

です!では、行ってみよ――!!

 

 

 

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 星空に、夢を願ってーー

これは、星空に想いを馳せる少女たちの物語

 

星空のメモリアHDリマスター版公式サイト

http://www.favo-soft.jp/soft/product/hoshimemo_hd/index.html?id=hdr

 

この記事は冒頭で述べた通り「星空のメモリア-Wish upon a shooting star-」という作品の考察記事になります。また、そのなかでも夢・メア両√に焦点を当てて考察していきます。

 

※本記事はネタバレ要素を含んでいます。本作品を購入していない又はプレイしていない方はブラウザバックすることを強く推奨します。

※画像の著作権は全て有限会社FAVORITE様に帰属します。

 

 

 

 

 

 

 

 

「宇宙」と「星空」

いきなりで申し訳ありませんが、読者の皆様は「宇宙」と「星空」の違いとは何だと思いますか?この問題は私が本作品を考察していく際に最初にあたった壁です。星空のメモリアのライターであるなかひろ先生はなぜ星空を舞台として選んだのか、本作品の主要素でもある星空とはいったいなんなのか。この問いは究極的にはなかひろ先生本人にしかわからないものかもしれません。しかし、この問題を放置したままでは絶対に星空のメモリアという作品を理解することはできないでしょう。
この問いに対する私自身の答えは宇宙とは星や銀河といったこの世のものすべてを内包するこの世界そのものであり、星空とは宇宙を人が地球から見上げ認識したものにすぎない、です。これをさらに分かりやすく言えば宇宙とはこの世界そのものであるがゆえに物理法則の支配下にあるが、星空はあくまでも人の知覚に頼った概念であるがゆえに物理法則に縛られることはないとなります。そう“星空は物理法則には縛られない”のです。例えば本当は何光年、何十光年も遠く離れた織姫と彦星が七夕の日に出会うように、夜空に浮かぶ星々がその物理的距離を無視して星座を形作るように、星空は決して物理法則に縛られることなく、けれども確かにそこに在り続けます。「星空」とは人々が物理法則を無視して願いを、想いを馳せる場所なのです。これこそが「宇宙」と「星空」の大きな違いであり、本作品において星空が舞台となっている理由だと私は考えています。

 

 

 

 

 星空のメモリアのテーマとは

少し前に私がTwitterでとあるフォロワーさんと本作について語り合っていた時、その方がこんなことを仰っていました。

「本作品のテーマを家族だと思っている人は多いですよね」

確かにその通りなのです。本作に関する様々な感想やブログを読んでみると大多数の人が「家族」をテーマとして扱っているのです。それは決して間違いではないでしょうし、そう解釈してしまうのも致し方ない部分が本作には多くあるのも事実です。グランド√である夢√・メア√以外では各ヒロインの√それぞれに家族の話があり、千波√に至っては小河坂家の話に終始しています。私も夢√に入るまでは本作品のテーマを家族だと解釈して読み進めていました。しかし、いざ夢√を読み進めていくと、それでは理解しきれない部分が出てくるようになったのです。

その代表例がこちら

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「宇宙というのは時間と空間およびそこに含まれる物質とエネルギーのことだ」
「物質とエネルギーは有限だ。その全てに寿命はある。」
「だから宇宙も無限じゃねえ、有限だ」
「人類が滅ぶのはどうしたって避けようのねえ運命なのさ」

岡泉先輩の話す内容は途方もなく大きくて、圧倒される。

「・・・それじゃあ天文学の意義って」 

天文学はな、すべての命はいずれ必ず滅ぶと教えてくれたんだよ」

俺はもう言葉もなく。
それでも岡泉先輩は、なんてことないように言うのだった。

「当たり前のことになに驚いてるんだよ」
「人が死ぬのも、動物が死ぬのも、草木が死ぬのも決まってるんだ。そりゃ星だって宇宙だって、いずれ死ぬのは決まったことになるだろうが」
「それでもみんな生きてるじゃねえか。死ぬってわかってても生きるしかねえじゃねえか」
「だから宇宙を研究するのは、人が生きるためなんだ」
「オレサマたちは、生きる意味を知るために生きているんだからよ」

 これを一体どう理解しろと!?

これは天クルの部長である岡泉先輩(といっても別人格の岡泉凍土のほうだが…)との会話です。これより前から「家族」だけでは理解しきれない話が続いていましたが、私はここに至ってようやく星空のメモリアのテーマが家族ではないことを確信しました。
では星空のメモリアの本当のテーマとは何なのでしょうか?
それは夢のこの言葉に明確に示されています。

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「好きだよ」
「咲き始める桜は、好きだよ」
「だけど、散ってしまう桜は、嫌い・・・」

桜は咲き始めて一週間で満開になって、それからまた一週間ですべて散る
それが、スプリングエフェメラ 

「はかない命なんて嫌い・・・」
「はかない美しさなんてわからない」

「・・・僕も、好きじゃない」
「ずっと満開のままでいい」
「散った桜は掃除が大変だから」

「・・・・・・・」
「・・・うん」

くすりと笑った。
彼女は満開の笑顔を咲かせていた。

「そうだね。ほんとに、そう」
「だからね、スプリングエフェメラルが終わっても・・・」

「夏になったら、サマーエフェメラルが始まるんだよ」

それが、僕が彼女に抱けた共感。

「終わったようで、終わらないんだよ。変わったようでいて、変りはしないんだよ」
「ずっと、いつまでも、永遠に・・・」
「あたしたちは、ここにある」

僕が彼女に感じた、同じ想い。
最初のつながりだったのかもしれない

 「永遠性」
はかないものを嫌った夢が求めたものであり、幼いころの洋くんが共感した想いがこの「永遠性」であり、これこそが本作の真のテーマだと私は考えています。
これは幼いころから体が弱く、学校に通うことすら諦めざるを得なかった夢だからこそ抱いた想いであり、他者に対して壁を作っていた幼いころの洋くんが唯一家族以外の他者とのつながりを得るきっかけとなった想いでもあるのです。

 

 

 

 

非物理的永遠性

本作の真のテーマが「永遠性」であることは先ほど述べましたが、科学の発達した現代においても物理的な永遠性は確認されていません。最も長くこの世界に存在し続けているものといえば言わずもがなこの宇宙そのものですが、その宇宙も1920年ハッブルによって膨張が確認されて以来数々の研究によっていずれ終焉を迎えることが確実視されています。ロマンの欠片もない話ではありますが、古代の人々が夢想したような「宇宙=永遠」という図式は現代においても成り立たず、宇宙ですら物理的永遠性は持ち合わせていないのです。
先ほどの家族というテーマでは理解の及ばなかった岡泉先輩との会話も「永遠」こそがテーマであると考えれば、この物理的永遠性に対する否定命題の提示だと解釈することができます。というよりこの会話はここで終わりですし、岡泉先輩の出番もここで終了なのでこれ以上は解釈のしようがないというのが本当のところですが・・・
さて、本作のテーマは「永遠性」、しかし物理的永遠性などこの世には存在せず、作中においても物理的永遠性に対する否定命題が提示されています。ですが本作は決して物理的永遠性を否定するだけの作品ではありません。この作品を通してライターさんが読者に伝えたかったもの、それこそが物理的永遠性に対する非物理的永遠性の存在です。
その証拠として夢√終盤にはこんな一幕があります

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「存在というのは破壊し得ないんだ」
「自分がここに生きていること、存在したということは、誰にも否定できない」

「神ですら否定できない」
「存在というのは破壊し得ないもの」
「それは過去、現在、未来という時間概念さえも超越した絶対の定理だ」
「どの次元の情報も統括する法則だ」
「変わらない星空よりも尊い、永遠の真理なんだ」

「存在というのは破壊し得ないもの」ーー存在という“概念”、存在したという“事実”は時間さえも超えて永遠に残り続ける、これこそが非物理的永遠性に他なりません。
岡泉先輩との会話においても彼は最後に「オレサマたちは、生きる意味を知るために生きているんだからよ」と語っています。生きる意味とは即ち生きた証であり、これもまた非物理的永遠性であると私は考えます。彼は物理的永遠性に対する否定命題を提示するとともに、非物理的永遠性の存在を示唆してもいたのです。さすが部長・・・

“物理法則に縛られない星空”を舞台に非物理的永遠性を求める作品、これこそが本作「星空のメモリア-Wish upon a shooting star-」の正体だと私は解釈しています。

 

 

 

 

夢とメア、二人にとっての永遠性

非物理的永遠性を求めた本作、ならばグランド√のメインヒロインである夢とメア、彼女たち二人にとっての永遠性とは何なのでしょうか?“存在した”という事実は永遠性のうちのひとつの形であると示されたばかりですが、それは必ずしも万人にとっての永遠性ではありません。

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私はもう学校に通うことはできなくなったけれど。
代わりに彼と友達になれるのなら、私はまだ大丈夫。
私は笑うことができるだろう。
私はひとりではないだろう。
私はここにいられるだろう。
私は、ひとりでいなくなったりしないだろう。

「きっと、いつまでも、永遠に」

これは洋くんとのスプリングエフェメラルについての会話の場面を夢視点から見た時の彼女の内心での独白です。洋くん視点からでは夢の求めているものが永遠性であることしか分かりませんでしたが、夢視点からだと夢の求める永遠性は洋くんとともに在ることで初めて形になるものであることが分かります。
更に、自身の死期を悟った夢は千尋との会話の後にこう独白しています

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これこそが夢の偽らざる本当の気持ちです。自分がそこに存在したという事実だけでは到底納得できない想いなのです。
夢にとっての永遠性とは洋くんとともに在って初めて形になるもの、しかしこのままでは夢は死を待つばかりであり彼とともに生きることはできません。そこで関わってくるのが本作のもう一人のメインヒロインであるメアです。
夢を助けるためにメアに助けを求めた洋くん。それに対してメアはこう言います。

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「わたしのこの姿は・・・ふたりの願いの証・・・」
「わたしのこの光は・・・ふたりの約束の証・・・」
「だから、わたしをこのカマで刈って・・・」
「あなたたちに、還すから・・・」
「洋くんは・・・彼女を助ける力を得る・・・」
「彼女は・・・洋くんに応えようって力を得る・・・」
「星が持つ光・・・人が持つ光・・・」
「人が願って生まれる光・・・」
「どれも、同じくらい強いから・・・」 

~中略~

「わたしは・・・大丈夫なの・・・」
「それが・・・約束を超えたところにあるものなの・・・」
「わたしたちの・・・絆なの・・・」

「絆って・・・」

「そう・・・絆・・・」

「そんなのっ・・・メアがいなくなったら意味ないだろっ・・・」
「絆なんかなくなるだろっ・・・」

「わたしはいなくなるんじゃない・・・」
「ちゃんと、いるんだよ・・・」
「目に見えないだけで、ちゃんとそばにいるんだよ・・・」
「洋くんのそばにいるんだよ・・・」
「夢も、きっと同じだったと思う・・・」
「夢は・・・自分はいなくなるんじゃない、きっとあなたのそばにいられるって・・・」
「そう、信じてたから・・・」

 夢が、そしてメアが求めた永遠性とは「絆」。たとえ物理的には死んでしまっても、目には見えなくとも、それでも確かにともに在る、そんな絆。存在したという事実だけではない、非物理的な、けれども“心の中でともに在り続けるという”確かな想いのこもった永遠性、それがこの「絆」なのです。夢とメア、ふたりにとっての永遠性なのです。
星空のメモリアを通してなかひろ先生が最終的に伝えたかったものとはこれなのではないでしょうか?物理的永遠性を否定してでも「絆」という想いを、非物理的な想いの永遠性を主張したかったのではないでしょうか?
「想いの永遠性」ーー死という命あるものでは決して抗うことのできない概念すらも超越する「絆」という想いの永遠性。物理法則に縛られない非物理的永遠性を求めた本作が最終的にたどり着いた結論であり、なかひろ先生が伝えたかったものがこの「想いの永遠性」であると私は考えています。

 

 

 

 

約束

夢√のラストで明らかになった夢とメア、二人にとっての永遠性。
ここからはそんな二人に対して主人公である洋くんが示した彼なりの永遠性について考察していきます。

 

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「心の中で生き続けるなんてのはご免なんだ」
「そんなのじゃあ、メアに触れられない・・・」
「メアの頭を撫でられない・・・」
「だからな、見えるだけでもダメなんだ・・・」
「聞こえるだけでもダメなんだ・・・」
「すべての感覚で分からなきゃ、ダメなんだ・・・」
「全部のお前を感じられなきゃ、ダメなんだよ・・・」

「洋くん・・・」
「とっても・・・バカバカ・・・」

「メア・・・」
「俺はお前を、必ず取り戻す・・・」
「夢とふたりで取り戻す」
「それまで待ってろ」

「うん・・・」
「待ってるね・・・」
「ふたりで見つけてくれること・・・待ってるね・・・」

「約束だ」

「うん、約束・・・」

洋くんが示した彼なりの永遠性、それは「約束」でした。上記の会話より彼にとっての絆はふたりのそれとは全く違ったものであることが分かります。彼女たちふたりにとっての絆とはたとえ目には見えなくとも、聞こえなくとも、感じられなくともそれでもそばにいる、ともに在り続けるというものでした。そういう形の想いの永遠性でした。それに対して洋くんにとっては目に見えて、聞こえて、しっかりと感じられてはじめて絆と呼べる想いになるのです。
ここで重要になってくるのが“彼は夢やメアの示した「絆」という想いの永遠性を一度否定している“ということです。否定したうえで、それでも一度は受け入れなければいけない状況になったのです。そこで洋くんは約束したのです。夢やメアの示した想いの永遠性は彼にとっての想いの永遠性ではなかったが故に彼はメアと約束を交わしたのです。夢やメアの永遠性に対して彼なりの永遠性で応えるための約束。夢とメアが示した「絆」という想いの永遠性、それに彼自身が納得するための約束。失われたものを取り戻し、三人でともに在り続けるための約束を。
彼の最後の独白にはそういった彼なりの永遠性に対する想いが込められているのだと私には感じられるのです。

必ず果たす、俺たちの約束。
そして、約束を超えたところにあるものを得る。
俺たちは、もう一度、 絆をつかむことができるんだ。
ーーメアと洋、夢√での最後の会話より

 

 

 

 

メアがたどり着いたもう一つの永遠性とその意味

本作、星空のメモリアにはグランド√と呼べるものが2つあります。一つは先ほどまで考察していた夢√、もう一つがこれから考察するメア√です。
前提としてメア√は夢√内において夢の容体が悪化し、面会謝絶になる直前から分岐した非常に短い物語です。そのためメア√の夢の容体は夢√程絶望的な状況ではありません。これは夢を救うためにメアを還す必要は今のところないということです。それを踏まえたうえでメア√を考察していきます。

メア√の最も興味深いところは夢√のおまけ的な内容でありながら、本作のテーマである「永遠性」についてメアが夢√とは違った結論にたどり着いているところです。

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俺は、夢のことは忘れない」
「だから俺は、夢のそばにいる」
「もちろん、メアもだ」
「俺は、いつまでもメアのそばにいるよ」

「・・・さっきできないみたいに言ってた」

「できる。覚悟は決めた」

「約束する?」

「いいぞ。新しい約束だ」

「いつまでも、わたしと一緒?」

「ああ」

「それは、変わらないってこと?」

「ああ」

なにもかもが変わっても、それだけは変わらない。
光となって、永遠にそこに在る。

「・・・うん」

メアは俺の手に、そっと自分の手を触れる。
このぬくもりと共にありたい。
守りたい。

「洋くんと、一緒・・・」
「ケッコンして・・・一緒・・・」
「洋くんの・・・お嫁さんになる・・・」
「そうすれば・・・家族になれる・・・」

家族としてそばにいることができたなら、それは雲雀ヶ崎の星空に勝るとも劣らない、光に満ちた未来だろう。

「約束、だよ・・・」
「ずっと、一緒だよーー」 

 夢√では洋くんと夢のために星に還ることを決めたメア。その時のメアがたどり着いた永遠性は心の中でともに在り続けるという想い、「絆」でした。しかし、メア√では夢√で洋くんが言い出した「約束」をメアが提案します。“ケッコンしてずっと一緒にいる”という想いの永遠性、それが詰まった約束を。
メアが夢√とは違った永遠性に対する考えを持った理由はいくつか推測することができます。例えば夢の容体がメアを還さねば助からないほど急を要する状況ではないことや洋くんとメアの距離が心身ともに最大限まで近づいたことなどです。
では、これはいったい何を意味しているのでしょうか?メアが√によって2通りの永遠性に対する考えを持つことにはいったいどんな意味があるのでしょう?これに対する私の考えは“想いの永遠性の形は決して一つとは限らない”です。想いの永遠性とは即ち非物理的な永遠性です。物理的永遠性であればその形はたった一つしかありません。“寿命がないこと=壊れないこと”これに尽きます。しかし非物理的永遠性とはその名の通り“物理法則に縛られない永遠性“です。物理法則という枠にはめられない永遠性であれば当人たちの状況や心理的条件によってその形は多岐にわたったとしても不思議ではありません。メアが√によって2通りの永遠性に対する考えを持つことは、非物理的な想いの永遠性の多岐にわたる形の可能性を示唆しているのだと私は考えています。

 

 

 

 

感想

星空のメモリア-Wish upon a shooting star-」この作品はプレイ前に私が考えていた以上に途方もなく壮大なテーマを扱う作品でした。私の初FAVORITE作品は「さくら、もゆ。」であり、それからいろセカシリーズをプレイするなど順調にFAVORITE作品の沼にはまってきていたわけですが、なかひろ先生の作品をプレイするのは今作が初でした。そんな状況でいきなり「永遠性」なんて壮大なテーマの作品をプレイしたわけですから考察しながら読み進めていくだけでも大変でした。
さて、そんな星空のメモリアですが、冒頭でもいった通り舞台が星空である理由として“星空は物理法則に縛られないから”と考察しましたが、この世界は言わずもがな物理法則に支配されています。では人の感情や想いというものも物理法則の波に呑み込まれてしまうのでしょうか?「永遠」というのは現状物理的にはこの世に存在しえない概念ですが、それは想いや願いといったものも例外ではないのでしょうか?この作品はそんな疑問に一石を投じ、否を突き付けた作品なのです。「想いの永遠性」それは確かに存在するのだと、我々読者に伝えてくれたのです。物理法則に縛られない星空のように、いつまでも変わらず在り続ける想いを、その輝きを、その強さを我々に教えてくれる作品、それがこの星空のメモリアだったのだと私は思っています。
ここでは夢√とメア√を基に本作の考察を行ってきましたが、もちろん彼女たち二人以外のヒロイン、姫榊姉妹や蒼ちゃん、千波、明日歩のそれぞれの√も大変面白い内容になっていました。「永遠性」について語っている√はグランド√だけだと感じましたが、この考察を基にまた他の√について考えをめぐらしてみるのも面白いかもしれませんね。

では、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。夢やメアをはじめとする今作ヒロインたちそれぞれの想いはそのどれもが美しく、永遠に輝く強さを持っているように感じられました。この考察記事が読者の皆様にとって少しでも「星空のメモリア」という作品を理解する助けになればと願っています。

 

 

 

 

・・・読みにくい部分や変な構成になってても、そこは初めてってことで許してね…!(><)

3月19日追記:この記事を書くにあたって私が最も影響を受けた方のブログのURLを貼っておくので、ぜひこちらもご一読ください
https://whiteeternity.hatenablog.com/